筋力トレーニングなら長崎のマルヤジム

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    Enjoy Training

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人生を変えた筋力トレーニング

現在私は、株式会社マルヤジムをオーナー兼指導スタッフで、
福岡ソフトバンクホークスの、ストレングス担当コーチをしています。
 
今まで、ジャイアンツの杉内俊哉選手、競輪の井上昌己選手、バドミントンの大束忠司選手などの、
著名な選手の指導をさせていただきました。
 
おまけに、筋肉(筋力)研究の第一人者、東京大学石井直方教授とご一緒に、
数々のセミナーの講師を務めてきました。
 
2013年の9月14日、名古屋での、第39回整形外科スポーツ医学学術集会において、シンポジストと実技講師を務めました。
 
ホークスでは、新人を含め、全ての選手に筋トレのアドバイスをさせていただく立場にあります。
 
 
なぜ、このようなことになったのか?
 
これからこの投稿で解説します。
 
また、私が今まで、磨いてきた技術を公開します。
 
私は、高校時代、器械体操をしていて、鉄棒から落ち、右ひじを骨折するという、アクシデントに見舞われました。
 
5時間に及ぶ手術で、親指から薬指まで、完全断裂した筋肉を繋ぎました。
私には将来、体育大学へ進学し、体育教師になる夢がありました。
 
15歳にして将来の目標を無くした私は、
その後、生きる屍(しかばね)のような、高校時代を過ごしました。
 
高校卒業後、生きがいを見いだせないまま、2年間の浪人生活を送りました。
 
いよいよ、人生の選択を迫られる時が来て、やっと法政大学法学部法律学科に、合格することができました。
 
入学後、心配をかけた両親のためにも、朝7時から夜の12時まで、
毎日、休むことなく、必死で法律の勉強に励みました。
 
ところが、3か月ほど経って、体の異変に気づきました。
階段の上り下りが困難なほど、体力が落ちてしまいました。
大学の診療室で観ていただくと、栄養失調になっていました。
 
体をほとんど動かさず、1日、おにぎり1~2個で済ませていました。
栄養に対して、全くの無知でした。
 
私の身体は、身長170cmで体重が50㎏を切っていました。正に、ガリガリ君です。
 
診察をしてくださった先生からは、直ぐに、運動をするように言われました。
 
私は、その先生の言うことに従い、
JR市ヶ谷駅と飯田橋駅の間にある、大学の体育館に足を運び、
そこで、筋力トレーニングと出会うことになりました。
 
 
まさか、この時の出会いが、
自分の人生を根底から変えることになるとは、思いもよりませんでした。
 
大学では、ボディビル部の監督・部長、素晴らしい先輩方との出会いがありました。
ここが私の筋力トレーニングの出発点です。
 
そして、1年生の初夏に行われた、関東学生ボディビル選手権大会で、
東大の石井直方教授の身体を、拝観することになりました。
 
その時の様子は、今でも、昨日のように覚えています。
身体がガタガタ震えるような衝撃がありました。
 
全身とてつもない、信じられないほどの、筋肉におおわれた身体!
しかも、「スゴイ! カッコイイ!!!」
 
「これが、私が探し求めていたものかもしれない」
 
直感的にそのような思いが湧いてきました。
 
 
それからの私は、筋トレに真剣に打ち込むようになりました。
加えて、ボディビル部の先輩の励ましは、心に染みました。
 
厳しい上下関係ではありましたが、先輩に褒められ、励まされ、叱られ、トレーニングに打ち込むことができました。
 
秋になって、関東学生ボディビル新人戦大会に、出場することになりました。
 
私にとってのデビュー戦です。ナント、初出場初優勝することができました。
 
 
そこで、審査委員長をされたのが、石井直方教授でした。

大会終了後、石井先生が私の所へ来られ、
 
「高西君、これからも頑張って続けて下さい」
 
「勉強が忙しいかもしれませんが、トレーニングだけは続けてください」
 
「4年後は全日本学生大会で、優勝できます」
 
 
その瞬間、『大学日本一』という、目標が定まりました。
 
 
学生時代、大会や納会を通して、
石井先生にお会いして、貴重なアドバイスを、いただくことができました。
 
ベンチプレスでは「手がバーから離れなくなるまで止めるな」
食事は、「吐くほど取れ」
 
 
私は、100%実践しようと思い、毎日
 
「本当に努力したか?」
 
「吐くほど食べたか?」
 
自問自答を繰り返しながら、トレーニングに、打ち込み、やり込み、追い込みました。
 
日々の変化は、それほど解りませんでしたが、
3年後、50㎏の体重が100㎏近くまで増えていました。
 
 
この世の中に、魔法はありません。
しかし、時間を止めてみれば、確かに50㎏の体重を2倍にできました。
 
ベンチプレス20㎏からスタートして150㎏になりました。
 
スクワット40㎏からスターして200㎏/10回、
フルスクワットの補助付で、1時間行えるようになりました。
 
2時間を超えるスクワットを終えると、
30分程、うずくまり、動くことができないほどでした。
 
その間、苦しさも、きつさも、辛さも含めて、
生きていることの喜びを、心から味わい、楽しさがとめどなく溢れ出しました。
 
この頃になると、スクワットや脚の運動後、
アパートへ帰る時に、体育館からJR飯田橋駅の間、徒歩10分の距離を、30分以上かけて歩きました。
 
手すりや木に捕まり、壁にもたれ、地面にうずくまり、必死で駅を目指しました。
その心は満足して、最高の喜びで満ち溢れていました。
 
並行して、食事もしっかりと取っていました。
 
朝、満員電車の中で、吐きそうになることが、当たり前になってきました。
 
口を手で押さえて、あげないように、全神経を集中しました。
 
飯田橋駅から学校へ向かう途中でも、
あげそうになって立ち止まり、慎重に足を運ぶこともありました。
 
このようなことのすべてが喜びに変わりました。
 
高校時代の「生きる屍」ではなくなり、
現在私は、株式会社マルヤジムをオーナー兼指導スタッフで、
福岡ソフトバンクホークスの、ストレングス担当コーチをしています。
 
今まで、ジャイアンツの杉内俊哉選手、競輪の井上昌己選手、バドミントンの大束忠司選手などの、
著名な選手の指導をさせていただきました。
 
おまけに、筋肉(筋力)研究の第一人者、東京大学石井直方教授とご一緒に、
数々のセミナーの講師を務めてきました。
 
2013年の9月14日、名古屋での、第39回整形外科スポーツ医学学術集会において、シンポジストと実技講師を務めました。
 
ホークスでは、新人を含め、全ての選手に筋トレのアドバイスをさせていただく立場にあります。
 
 
なぜ、このようなことになったのか?
 
これからこの投稿で解説します。
 
また、私が今まで、磨いてきた技術を公開します。
 
私は、高校時代、器械体操をしていて、鉄棒から落ち、右ひじを骨折するという、アクシデントに見舞われました。
 
5時間に及ぶ手術で、親指から薬指まで、完全断裂した筋肉を繋ぎました。
私には将来、体育大学へ進学し、体育教師になる夢がありました。
 
15歳にして将来の目標を無くした私は、
その後、生きる屍(しかばね)のような、高校時代を過ごしました。
 
高校卒業後、生きがいを見いだせないまま、2年間の浪人生活を送りました。
 
いよいよ、人生の選択を迫られる時が来て、やっと法政大学法学部法律学科に、合格することができました。
 
入学後、心配をかけた両親のためにも、朝7時から夜の12時まで、
毎日、休むことなく、必死で法律の勉強に励みました。
 
ところが、3か月ほど経って、体の異変に気づきました。
階段の上り下りが困難なほど、体力が落ちてしまいました。
大学の診療室で観ていただくと、栄養失調になっていました。
 
体をほとんど動かさず、1日、おにぎり1~2個で済ませていました。
栄養に対して、全くの無知でした。
 
私の身体は、身長170cmで体重が50㎏を切っていました。正に、ガリガリ君です。
 
診察をしてくださった先生からは、直ぐに、運動をするように言われました。
 
私は、その先生の言うことに従い、
JR市ヶ谷駅と飯田橋駅の間にある、大学の体育館に足を運び、
そこで、筋力トレーニングと出会うことになりました。
 
 
まさか、この時の出会いが、
自分の人生を根底から変えることになるとは、思いもよりませんでした。
 
大学では、ボディビル部の監督・部長、素晴らしい先輩方との出会いがありました。
ここが私の筋力トレーニングの出発点です。
 
そして、1年生の初夏に行われた、関東学生ボディビル選手権大会で、
東大の石井直方教授の身体を、拝観することになりました。
 
その時の様子は、今でも、昨日のように覚えています。
身体がガタガタ震えるような衝撃がありました。
 
全身とてつもない、信じられないほどの、筋肉におおわれた身体!
しかも、「スゴイ! カッコイイ!!!」
 
「これが、私が探し求めていたものかもしれない」
 
直感的にそのような思いが湧いてきました。
 
 
それからの私は、筋トレに真剣に打ち込むようになりました。
加えて、ボディビル部の先輩の励ましは、心に染みました。
 
厳しい上下関係ではありましたが、先輩に褒められ、励まされ、叱られ、トレーニングに打ち込むことができました。
 
秋になって、関東学生ボディビル新人戦大会に、出場することになりました。
 
私にとってのデビュー戦です。ナント、初出場初優勝することができました。
 
 
そこで、審査委員長をされたのが、石井直方教授でした。

大会終了後、石井先生が私の所へ来られ、
 
「高西君、これからも頑張って続けて下さい」
 
「勉強が忙しいかもしれませんが、トレーニングだけは続けてください」
 
「4年後は全日本学生大会で、優勝できます」
 
 
その瞬間、『大学日本一』という、目標が定まりました。
 
 
学生時代、大会や納会を通して、
石井先生にお会いして、貴重なアドバイスを、いただくことができました。
 
ベンチプレスでは「手がバーから離れなくなるまで止めるな」
 
食事は、「吐くほど取れ」
 
 
私は、100%実践しようと思い、毎日
 
「本当に努力したか?」
 
「吐くほど食べたか?」
 
自問自答を繰り返しながら、トレーニングに、打ち込み、やり込み、追い込みました。
 
日々の変化は、それほど解りませんでしたが、
3年後、50㎏の体重が100㎏近くまで増えていました。
 
 
この世の中に、魔法はありません。
 
しかし、時間を止めてみれば、確かに50㎏の体重を2倍にできました。
 
ベンチプレス20㎏からスタートして150㎏になりました。
 
スクワット40㎏からスターして200㎏/10回、
フルスクワットの補助付で、1時間行えるようになりました。
 
2時間を超えるスクワットを終えると、
30分程、うずくまり、動くことができないほどでした。
 
その間、苦しさも、きつさも、辛さも含めて、
生きていることの喜びを、心から味わい、楽しさがとめどなく溢れ出しました。
 
この頃になると、スクワットや脚の運動後、
アパートへ帰る時に、体育館からJR飯田橋駅の間、徒歩10分の距離を、30分以上かけて歩きました。
 
手すりや木に捕まり、壁にもたれ、地面にうずくまり、必死で駅を目指しました。
その心は満足して、最高の喜びで満ち溢れていました。
 
並行して、食事もしっかりと取っていました。
 
朝、満員電車の中で、吐きそうになることが、当たり前になってきました。
 
口を手で押さえて、あげないように、全神経を集中しました。
 
飯田橋駅から学校へ向かう途中でも、
あげそうになって立ち止まり、慎重に足を運ぶこともありました。
 
このようなことのすべてが喜びに変わりました。
 
高校時代の「生きる屍」ではなくなり、
 
大学時代は、楽しさがいっぱい詰まった、人生最高の時期を過ごすことができました。
 
 
このような生活をして、『大学日本一』を達成することができました。
 
大学卒業に際して、今度は人生の大きな、
決断が待っていました。就職です。
 
筋トレを続けたいと思っていた私は、
仕事をしながら、トレーニングできる職種を、公務員に絞りました。
 
当時、民間企業に就職された先輩から、
 
「就職したら、筋トレはできない」
 
ことを知らされました。
 
 
複数の公務員試験を受けましたが、
面接で失敗し、全滅しました。
 
不安定な、2年間の就職浪人を経て、
同郷の長崎出身の方が経営する会社に、就職することができました。
 
これで、筋力トレーニングを極める条件を、手に入れました。
 
大学を卒業してからは、
上野にあるトレーニングセンターサンプレイに、お世話になりました。
 
 
お世話になった理由は
 
①石井先生が通われていたこと
 
②宮畑会長のトレーニング指導を受けたかったこと
 
この2点です。
 
 
サンプレイでは、
宮畑会長に、高重量・高回数による追い込み方を学びました。
石井先生に、トレーニング科学、筋肉増強のメカニズムを学びました。
 
日曜日を除き、
毎日の週6回、約2時間全力でトレーニングを行ないました。
 
宮畑会長・石井先生に、
毎回質問をぶつけながら、死にもの狂いのトレーニングに明け暮れました。
 
 
いつの日か、私の心は耐え切れず、とうとう悲鳴を上げるようになってきました。
 
私がトレーニング室に私が入って行くと、その場の空気が変わるのが解りました。
 
悲壮感が漂い、静まりかえってしまうようになりました。
 
そこは、修羅場であり、地獄のような雰囲気でした。
 
このような雰囲気を、
打ち砕き、楽しく、楽園のような状態へ持って行くのが、主に宮畑会長と石井先生でした。
 
 
“人生を変えた筋力トレーニング”
 
私の原点は、1979年、
サンプレイジムでの宮畑会長、
石井先生との
精根尽き果てるトレーニングだったと言えます。

大学時代は、楽しさがいっぱい詰まった、人生最高の時期を過ごすことができました。
 
 
このような生活をして、『大学日本一』を達成することができました。
 
大学卒業に際して、今度は人生の大きな、
決断が待っていました。就職です。
 
筋トレを続けたいと思っていた私は、
仕事をしながら、トレーニングできる職種を、公務員に絞りました。
 
当時、民間企業に就職された先輩から、
「就職したら、筋トレはできない」ことを知らされました。
 
複数の公務員試験を受けましたが、
面接で失敗し、全滅しました。
 
不安定な、2年間の就職浪人を経て、
同郷の長崎出身の方が経営する会社に、就職することができました。
 
これで、筋力トレーニングを極める条件を、手に入れました。
 
大学を卒業してからは、
上野にあるトレーニングセンターサンプレイに、お世話になりました。
 
 
お世話になった理由は
 
①石井先生が通われていたこと
 
②宮畑会長のトレーニング指導を受けたかったこと
 
この2点です。
 
 
サンプレイでは、
宮畑会長に、高重量・高回数による追い込み方を学びました。
石井先生に、トレーニング科学、筋肉増強のメカニズムを学びました。
 
日曜日を除き、
毎日の週6回、約2時間全力でトレーニングを行ないました。
 
宮畑会長・石井先生に、
毎回質問をぶつけながら、死にもの狂いのトレーニングに明け暮れました。
 
 
いつの日か、私の心は耐え切れず、とうとう悲鳴を上げるようになってきました。
 
私がトレーニング室に私が入って行くと、その場の空気が変わるのが解りました。
 
悲壮感が漂い、静まりかえってしまうようになりました。
 
そこは、修羅場であり、地獄のような雰囲気でした。
 
このような雰囲気を、
打ち砕き、楽しく、楽園のような状態へ持って行くのが、主に宮畑会長と石井先生でした。
 
 
“人生を変えた筋力トレーニング”
 
私の原点は、1979年、
トレーニングセンター・サンプレイでの
宮畑会長、石井先生との
精根尽き果てるトレーニングだったと言えます。

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